中山道 風の旅
 〜美濃・近江編〜


美濃路に入った中山道は、江戸時代に作られた石畳が残る難所の十曲峠を通ります。ここは長く土に埋もれていた石畳が発見され、再現されています。



古くから交通の要衝であり、商業で栄えた中津川宿。名物「栗きんとん」でも知られます。皇女和宮ゆかりの料理や菓子を再現していました。



大井宿は、街道が直角に曲がる枡形が六ヶ所もあるのが特徴です。かつてここに城を造る計画があった名残といわれます。
旅人は中山道広重美術館を訪ね、広重と栄泉の合作である木曽街道六十九次の謎に迫ります。

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大井宿からいくつもの峠を越えて大湫宿に入ります。宿場風情のよく残る宿を出るとやがて琵琶峠にさしかかります。長く土に埋もれていたここの石畳の発見者にお話を伺うことができました

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街道沿いに残る古い旅籠が昔の面影を伝える細久手宿。
ここには江戸時代からの美濃歌舞伎の伝統を守る人々がいます。毎年8月と10月に行われる公演が人気を呼ぶ「相生座」を訪ねました。

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峠に御殿をつくり皇女和宮を迎えたという御殿場を下って御嵩宿に入ります。謡坂沿いにある志野焼の窯元を訪ねました。

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舟運の繁栄をしのばせる兼山湊の近くに、織田信長の家臣だった森氏の城址があります。その3代目の城主は本能寺の変で信長と命運を共にした森蘭丸です。
宿のはずれには鬼の伝説が残る奇岩がありました。

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中山道3大難所のひとつといわれた木曽川の”太田の渡し”を渡って太田宿に入ります。ここは坪内逍遥生誕の地でもあります。
旅人は名産の蜂屋柿を作る農家を訪ねます。

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濃尾大地震で多くの建物を失ったという鵜沼宿。木曽川をはさんで宿を見下ろす犬山城は、日本最古の天守閣が国宝となっています。城跡近くで、近代技術のルーツともいえる”からくり人形”に出会いました。

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徳川家康の長女亀姫が嫁いだ奥平信昌の居城、加納城。その膝元に城下町である加納宿があります。特産の美しい和傘を作る職人さんを訪ねました。

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今も生活路となっている”小紅の渡し”で長良川を渡ると河渡宿。その上流の金華山の麓は長良川の鵜飼で知られます。19代目となる鵜匠を訪ねました。

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織田信長は伊吹山に三千種の薬草を植えたといわれます。サボテンもそのひとつでした。美江寺でサボテンを大規模に栽培する人に出会いました。

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芭蕉の最後の大きな旅であり、芭蕉芸術の到達地である”奥の細道”の結びの地、大垣。旅の先達を偲びながら水の街を歩きます。

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古代美濃の中心地であった垂井。美濃国一宮、垂井の清水、芭蕉ゆかりの時雨庵などを訪ねます。

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天下を分けた東西の合戦の舞台に中山道が通っていました。合戦の跡を歩き、歴史と共に暮らす人たちを訪ねます。

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美濃国の中山道最後の宿場、今須宿。節目のない優れた杉材「今須杉」を産出しています。その伝統は荒縄だけで木を登り枝打ちを行う人たちによって守られていました。

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近江の国に入った中山道最初の宿、柏原宿。長さ1.5キロもある宿場は歴史を感じさせる佇まいです。広重の絵にも描かれた”いぶきもぐさ”を売る店を訪ねます。

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清らかな湧水が水源となる地蔵川沿いの醒井宿。人々は水と共に暮らしています。旅人はそれぞれに由緒ある”七湧水”をめぐります。

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長谷川伸の「瞼の母」の主人公、番場の忠太郎で知られる番場宿。この宿より琵琶湖へ向かうと水運で栄えた北国街道への分岐点、米原宿があります。その影にかくれて番場宿は静かな佇まいを見せています。

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琵琶湖を望む摺針峠(すりはりとうげ)を越えて鳥居本宿へ入ると雪が出迎えてくれました。加納宿で求めた和傘の出番です。

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江戸時代を通じて井伊氏が城主だった彦根城。高宮宿はその近くにあって、人口などの規模が本庄宿に続いて中山道2番目に大きい宿場でした。
「鮒すし」など琵琶湖の恵みを味わいます。

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愛知川の水を利用した太鼓や酒造りなどの伝統技術が残る町。なかでも「びん細工手まり」というガラスびんに入った不思議な手まりは、一体どうやって作るのでしょうか。

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武佐宿のある近江八幡は、豊臣秀次が城と一体となった町づくりに情熱を傾けた地でした。ここでは商業が発達し、諸国に出て商いを行う”近江商人”を輩出しました。

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かつては「京立ち守山泊まり」といわれ、京を立った旅人が最初に泊まる宿場として栄えた守山宿。今ではあまり見かけない「和ろうそく」を売る店を訪ねます。

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中山道は草津宿で東海道と合流し、ここから一本の道となって京へ至ります。京の手前の大津宿には、これまでの旅でしばしば足跡に出会った木曽義仲と松尾芭蕉の墓所である義仲寺があります。

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中山道の終点である三条大橋は今日も多くの行き交う人で賑わっています。北野天満宮の梅の花に迎えられた旅人は京都御苑に皇女和宮の生誕地を訪ねます。

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